修平の視察報告
東日本大震災(岩手県)の復興状況調査
平成26年4月24日(木)~25日(金)
-大阪維新の会府議団有志視察-
●遠野市の後方支援体制
岩手県南東部の北上高地の中心に位置する遠野市は、内陸と沿岸の中間地点にあり、内陸にも沿岸にも通じる道路網が整備された結節点となっています。また、地質は花こう岩で安定しており、活断層もなく、災害に強い地域とされてきました。
「30年以内に99%」の確立で発生すると言われていた宮城県沖地震による津波災害への備えが大きな課題となっていた中、遠野市は地理的条件などを活かし、震災前より災害時の後方支援拠点としての機能強化を図ってきました。
平成19年には津波が来ない内陸と、被害が想定される沿岸の結節点に位置する遠野市が担うべき役割を認識し、近隣市町村との連携を図りながら、「三陸地域地震災害後方支援拠点施設整備推進協議会」を設立しました。
そして、宮城県沖を震源とする地震が発生し、三陸沿岸に津波が襲来した想定のもと、自衛隊東北方面隊の主催により岩手・宮城両県の自治体、警察、消防、医療関係者や地域住民など人員約1,8000人、車両2,300台、航空機43機が参加するという全国でも類を見ない大規模訓練「みちのくアラート2008」が遠野運動公園で行われました。
こうした訓練を通じて、「後方支援拠点構想」は実現すべき確かな計画として捉えられ、まさに「構想」から「実践」、そして「カタチ」として位置付けられました。
遠野市の後方支援体制は東日本大震災発生直後から機能しました。震災後の翌日には運動公園に陸上自衛隊が集結し、翌々日には大阪府緊急消防救援隊(府内の各市町村の消防により組織)など、全国の消防が集結しました。またその後、友好都市の支援隊や一般の災害ボランティアが全国各地から集結し、支援体制が速やかに構築され、被災地への派遣が迅速に行われました。
こうした「後方支援拠点構想」という「備え」により、被災地域の方々の受け入れだけでなく、被災地の「減災」にも大きく貢献しました。
現在、大阪府内には10ヶ所の後方支援拠点がありますが、遠野市のような地元自治体が中心となった明確な体制整備が行われているものではなく、あくまでも災害時における緊急車両や救援物資の中継地点として位置付けられているだけに過ぎません。
また、河内長野市をはじめ南河内地域を包括する後方支援拠点は、府立錦織公園に指定されていますが、公園内は起伏があり、多くの緊急車両や救援物資を受け入れる機能は有していないため、新たな拠点整備が課題となっています。
上町断層帯(豊中市~岸和田市)や生駒断層帯(枚方市~羽曳野市)、大阪湾断層帯(神戸市湾岸~大阪府南部湾岸)などの大阪府内の活断層帯をはじめ、中央構造線断層帯(奈良県香芝市~五條市)など、府内近辺には数多くの活断層帯が位置していますが、河内長野市にはこうした活断層帯が存在しません。まさに遠野市と同じ地理的条件を備えています。
現在、府では国道371号バイパスの工期の大幅縮減と併せて、赤峰トンネルから北へ堺方面へのアクセス道路が整備を計画しています。これらの道路整備を着実に進め、小山田地区の新消防防災拠点施設や赤峰グランドを活用した「河内長野版後方支援拠点構想」を具現化することで、南河内地域のみならず、和歌山県や堺市、泉州地域への結節点として、近隣地域への「安全」と「安心」をもたらすことができるものと考えております。
そして、その“地の利”を活かしたまちづくりを進めることで、“陸の孤島”と揶揄された河内長野市の不十分な道路状況を打開していきたいと考えています。
●陸前高田市の復興状況
「奇跡の一本名松」で有名な岩手県陸前高田市は、海岸沿いの高田松原や市役所、県立病院などが立ち並ぶ中心市街地、国道45号線やJR大船渡線などの主要動線とともに、海岸防潮堤の倒壊により壊滅状態となってしまいました。
現在、12.5mの防潮堤や居住区の7mの嵩上げ工事などが進められていますが、地権者との用地交渉は未だ3割が未解決のままで、多くの課題も抱えています。
当日は大阪府から派遣されている職員から復興状況の説明を聴取しました。
●大船渡市で復興支援業務に励む大阪府の職員を激励
東日本大震災から3年余りが経過しましたが、被災地の復興は道半ばです。震災直後から、多くの大阪府の職員がカウンターパートである岩手県に派遣されていますが、現在も27名の職員が道路や河川などの復旧や子どもたちの心のケアに取り組んでいただいています。
当日は大船渡市にある岩手県沿岸広域振興局を訪問し、現場での業務環境などについて府職員の皆さんと意見交換を行いました。支援業務とは言え、家族と離れ、府民を代表しての仕事です。心から感謝と敬意を表し、激励の言葉を申し上げてまいりました。
●三陸とれたて市場
世界三大漁場と言われる三陸沖ですが、その豊かな漁場を持つ漁業のまちの一つである大船渡市三陸町の港も壊滅状態となってしまいました。
「三陸とれたて市場」はインターネットを駆使した「三陸の鮮魚の産地直販サイト」として震災前から有名でしたが、港は破壊され、船も漁具も流されてしまった中、漁場は津波が到来する前より再生されていることに気付き、震災前以上の状況に復活させたいとの強い決意のもと、現在再建されています。
特に、味覚を損なわないように瞬時に冷凍するという特殊な機能を持つ「CAS冷凍庫」により、一年を通じて、おせち料理や寿司などの製造に取り組むことができるようになりました。
また、インターネットを利用して消費者に料理の工程を見せるなど、「加工品」を販売するのではなく、「料理」を販売しています。「CAS冷凍庫」はまさに漁場と消費者をつなぐ“どこでもドア”のような存在です。
「魚を売る」から、「物語を売りたい」と力強く語られた市場代表の八木健一郎さんの言葉が心に残りました。
●「釜石の奇跡」で有名な釜石小学校
岩手県釜石市の小中学生は、ほぼ全員が津波の難を逃れました。震災後、「釜石の奇跡」と言われ、釜石市の「防災教育」に注目が集まりましたが、子どもたちが教育で身に着けた想定外の「対応力」を学ぶため、釜石小学校を訪問し、県教育委員会からも説明を聴取しました。
釜石にはかつてから、「津波てんでんこ」の教えがありました。「てんでんこ」とは、「各々」という意味で、家族にもかまわず、各々が一刻も早く高台に逃げて自らの命を守るという教えです。
釜石ではこの教えを活かすためにも、災害社会学の権威で知られた群馬大学の方田敏孝教授の指導のもと、8年間、津波からの避難訓練を重ねてきました。そして、子どもたちの体に染み付いた防災意識により、生存率が99.8%という奇跡的な結果をもたらすことができました。
残念ながら、亡くなった子どもたちは親が学校から連れて帰ったケースによるものでした。中には、防災意識の低い親を子どもが説得して避難誘導し、難を逃れたという事例もあったそうです。
「学校にいる子どもたちは、学校が責任を持つ」
県教育委員会の担当者の責任感溢れる言葉が心に染み渡りました。